レジ袋を買ったら、ごみ袋だった。
こう書くと、なにやら狐につままれたような話である。いや、京都であれば、狸につままれたと言うべきかもしれない。
京都市が、ちょっと面白い実験を始めている。
家庭ごみ有料指定袋を、買い物のレジ袋として1枚単位で売るというのである。
対象は、燃やすごみ用の5L、10L、20L袋。価格はそれぞれ5円、10円、20円。つまり、通常の指定袋と同じ値段である。
売る場所は、京都市内の一部のドラッグストアとコンビニエンスストア。京都市の発表では、6事業者106店舗で実施するという。期間は令和8年10月1日から令和9年2月28日まで。数量限定である。
買い物をする。
マイバッグを忘れる。
レジ袋を買う。
その袋を家へ持ち帰り、最後は燃やすごみ用の指定袋として使う。
なるほど。
袋が一度で二役をこなす。
まことに「しまつのこころ」らしい話である。
ただし、ここで素直に拍手して終わるほど、こちらも人がよくない。袋が二役をこなすなら、政策も二役をこなしているのか。そこを見なければならない。
何が始まったのか
京都市の公式発表によれば、今回の実証実験は「家庭ごみ有料指定袋をレジ袋として販売する」取組である。
京都市は、通常のレジ袋を買わずに済む新たな選択肢として、家庭ごみ指定袋をレジ袋として販売すると説明している。背景には、使い捨てプラスチック削減がある。
京都市によると、レジ袋のごみはピーク時である平成12年度の5,200トンから8割削減され、1,200トンとなっている。ただし、令和3年度以降は横ばいの傾向が続いているという。京都市の発表である。
つまり、ここまで減った。
だが、ここから先が減らない。
そこで市は、マイバッグを忘れた時の逃げ道として、ただのレジ袋ではなく、あとで家庭ごみ袋として使える袋を売ってみることにした。
この発想は、なかなか悪くない。
なぜなら、人間は忘れる生き物だからである。
マイバッグを持っていこうと思う。思うのだが、玄関で靴を履いた瞬間に忘れる。あるいは、買うつもりのなかった牛乳と豆腐とネギを買って、手持ちの袋から生活がはみ出す。
そういう時に「レジ袋を買うな」と言われても困る。
人間は理想ではなく、手に持てる袋で帰る。
これは賢いのか
結論から言えば、これはかなり賢い実験である。
ただし、万能ではない。
賢い理由は、袋の機能を重ねているからだ。
普通のレジ袋は、店から家まで商品を運ぶ。役目はそこでほぼ終わる。もちろん再利用する人もいるが、多くはどこかでごみになる。
一方、指定ごみ袋は、最初からごみを出すための袋である。
その袋を、買い物袋として先に使う。
つまり、袋の人生が少し長くなる。
店から家まで商品を運び、家でごみを受け止め、最後に収集場所へ出される。袋としてはなかなか働き者である。
こちらが袋なら、少し誇らしい顔をするかもしれない。
だが、政策として見ると、ここで一つ突っ込みたい。
市民がほしいのは、きれいな理念ではなく、使いやすい仕組みである。
たとえば、5L、10L、20Lというサイズは、買い物袋として本当に使いやすいのか。
コンビニでおにぎりと飲み物を買うなら5Lでよいかもしれない。ドラッグストアで洗剤や日用品を買うなら20Lが必要になるかもしれない。
ただ、指定袋はあくまでごみ袋である。持ち手や強度、透け方、見た目が、普通のレジ袋と同じとは限らない。
ここで市民が「便利やん」と思うか、「いや、これを買い物袋として持ち歩くのは少し気恥ずかしい」と思うか。
実験の成否は、案外そこにかかっている。
市民にとっての得は何か
市民にとっての得は、わかりやすい。
どうせ後で使うごみ袋を、先に買い物袋として使える。
指定袋を買い忘れた時にも助かる。
1枚単位で買えるなら、家に袋の在庫がない時にも便利である。
ここは生活者目線でかなり大きい。
ごみ袋というものは、なぜか必要な時に限って切れる。
台所でごみ箱を開ける。袋がない。棚を見る。ない。買ったはずなのにない。家族に聞く。誰も知らない。すると、ごみ箱の前で人間は少しだけ文明を失う。
その点、コンビニやドラッグストアで1枚単位で買えるなら、かなり助かる場面がある。
ただし、この制度を市民が本当に使うには、二つの条件がある。
第一に、レジで分かりやすいこと。
店員に「指定袋ありますか」と聞かなければ出てこないのか。レジ前に見える形で置いてあるのか。サイズを選びやすいのか。ここが曖昧だと、利用は伸びない。
第二に、対象店舗が生活圏にあること。
106店舗という数字は、それなりに多い。しかし京都市全体で見れば、どこでも買えるわけではない。西院、太秦、山科、伏見、洛西、醍醐、中心部。生活動線のどこに置かれるかで、実感はかなり変わる。
政策というものは、地図の上では平等に見えても、生活の上では偏る。
ここは、たぬきの鼻もよく利くところである。
店側の負担はどうか
この実験で忘れてはいけないのは、店側の負担である。
京都市は検証内容として、通常のレジ袋の削減効果、市民の利便性、取扱店の利便性を挙げている。
ここは正しい。
市民に便利でも、店側が扱いにくければ続かない。
指定袋をサイズ別に置く。会計時に1枚単位で売る。在庫を管理する。普通のレジ袋と間違えない。客に説明する。
これらは小さな手間に見えて、レジの現場ではなかなか重い。
レジ前という場所は、町の小さな渋滞である。
後ろには人が並ぶ。前の客はポイントカードを探す。別の客はクーポンを出す。電子決済がなぜか一度止まる。そこへ「これはごみ袋としても使えます」と説明が入る。
店員からすれば、袋が賢くなった分だけ、説明が増える可能性がある。
だからこそ、制度のデザインは大事である。
説明しなくても伝わる売り方になっているか。
ポスターや棚札で一目で分かるか。
サイズごとの使い分けが直感的か。
こういう細部が、政策の成否を決める。
「しまつのこころ」は、便利でなければ続かない
京都市は昔から「しまつのこころ」を掲げている。
ものを大切にする。むだを減らす。使えるものは使い切る。
耳ざわりはよい。
だが、耳ざわりがよいだけでは、人間の行動は変わらない。
行動を変えるには、少し得で、少し楽で、少し気持ちよい必要がある。
今回の指定袋レジ袋化は、その点では筋が良い。
マイバッグを忘れた人を叱らない。
普通のレジ袋を買う罪悪感を少し減らす。
どうせ必要なごみ袋へ置き換える。
これは、説教ではなく設計である。
行政が市民を動かす時、説教はだいたい弱い。設計は強い。
「忘れるな」と言うより、「忘れても少しマシな選択ができるようにしておく」ほうが、人間には合っている。
人間というものは、立派な理念より、目の前のレジ袋に従う。
有頂天市民としての見立て
今回の実証実験は、小さい。
市政全体を揺るがす大政策ではない。
しかし、小さい政策ほど、その町のセンスが出る。
大きな政策は、国の制度や予算や選挙の言葉に引っ張られる。だが、レジ袋をごみ袋にするような小さな工夫は、市民生活をどれだけ見ているかが出る。
この実験で見るべきは、三つである。
第一に、通常のレジ袋がどれだけ減ったか。
第二に、市民が「便利」と感じたか。
第三に、店側が無理なく扱えたか。
この三つがそろえば、拡大する価値がある。
逆に、どれかが欠けるなら、制度はきれいでも続かない。
袋は軽い。
だが、袋の設計は軽く見てはいけない。
市民の行動は、こういう小さな入口から変わる。
レジで1枚の袋を選ぶ。
家でその袋をごみ箱にかける。
収集日にその袋を出す。
その一連の動きが、無理なくつながれば、政策は生活に溶ける。
役所の紙の上ではなく、台所のごみ箱の中で政策が動き出す。
それは、なかなかよいことではないか。
もっとも、こちらとしては最後に一つだけ聞いておきたい。
京都市さん。
この袋、ほんまに買い物袋として持ちやすいんですか。
そこがいちばん、市民は見ていますえ。